本記事は社会人になった筆者が新生活を体験してみて思ったことを赤裸々に綴るだけの日記のようなものです。過度な期待をしないでください。
社会人って思ったより悪かった
早いもので筆者はもうすぐ社会人二年目になろうとしています。
思い返せば中学・高校・大学と凡庸な日々を送ってきました。
人並より良い成績を取って、いい会社に入れば、お金や社会的な地位が得られる。そんな淡い希望を漠然と抱いたまま学生時代を後にしました。
社会人になって働き始めれば何かが変わると心の隅で本気で思っていました。
だけど実際に社会人になって働いてみて、数か月経った頃です。なにこれ?って思いました。やってることは研究室時代と”何も変わってない”。
むしろ拘束時間が長くなってより辛くなっている! です。
学生時代はお金を稼ぐことに漠然と希望を抱いていたのですが……節約しても貯まるスピードも速くないし、何より仕事に結構なプレッシャーがある。
抱いていた理想と現実の狭間にだんだん気持ちが白けてきました。
研究室時代と同じくらい夜遅くまで働いて、家に帰って寝る生活がなんか馬鹿馬鹿しい。最近ではそう思ってしまうのです。そう思いながらも未だにサラリーマンとして働いているわけです。
親父に希望をみたのが間違いだった
僕が化学系に進んだ理由は親父が化学系でまったりと研究をしていたことに尽きます。いつも6時過ぎには帰っていた親父の姿をみてきた筆者は、化学系の仕事は楽なんだと思って化学系を目指しました。
研究も自分で考えて道を編み出していくのが面白かったです。ただ教授とは少しキャラや馬が合いませんでしたが。
長時間残って研究するのは嫌いでした。でもそれが研究室のデファクトスタンダードになっているので仕方がない。帰りたい気持ちを押し殺してダラダラと論文を読んだり、実験したりして卒業に漕ぎつけました。
そして新卒で入った企業は大変いい人たちばかりでした。しかし仕事はお客さんが存在していたため、勤務時間が納期に振り回されていました。
そこまでブラックという環境でもなかったのは間違いありません。それでも思い描いていた理想の働き方とは外れてしまいました。
研究室を頑張って耐えた筆者としては、努力に対する報酬が思いの外小さくてがっかりしました。
ちょっと愚痴みたいな研究室時代の話
こんな納期に振り回される状況になるために研究室で頑張っていたわけじゃない。三年間も一日12時間くらいタダ働きして得たものはなんなのか。
研究好きの人から言わせれば学会経験・好きな研究に時間を使えることなど、研究室生活で有意義な点を挙げられるでしょう。一般の人からすれば大企業に入りやすいことが挙がるでしょうか。
研究室での経験の多寡は大いに人によります。私に関していえば沢山の経験はさせてもらったが、正直に言うと辛さが一番に際立っていた。
なぜ研究室で賃金が発生しないのだろう
筆者は研究という労働に対して「お金を貰えない」のは不自然極まりないと思っていました。
タダ働きならまだしも、学費という対価を払って研究室のために尽くすのはドMのやる行為だと思いながら院生時代を過ごしました。
個人的には無償のボランティアとか忍耐の精神みたいな日本の美徳は糞くらえです。労働が発生するなら賃金を払って当たり前という感覚なのですが、なぜか日本人はその感覚が弱い気がします。
しかしながら愚痴を言いながらも研究室を続けたのは筆者の忍耐強さでもあり、心の弱さでもあります。自分が納得していない事を続けてしまったのですから恥じるべき行為です。
大物になる人物ならきっぱりと学校を辞めて好きなことをするでしょう。それが出来ない理由は筆者のパラダイムを構成した環境のせいだと思います。
性格は環境に依存する
僕がサラリーマン街道という安定したレールの上から未だに落ちようとしないのは二つ理由があります。
一つ目、落ちたら二度と元に戻れないことを知っているから
日本の就職では新卒カードが最強です。IT関連を中心に人材の流動性は上がってきているものの、重厚長大な化学系製造業では昔ながらの新卒一括採用が主流のままです。
新卒カードを使って入った会社を辞めた場合は、その企業よりも下位の企業に転職せざるを得ないことが多いです。それだけ新卒カードは最強だと思っていいです。
二つ目、自分が育まれた環境が阻むから
筆者はTHE安定を地で行くサラリーマンの家庭で育ちました。幼少から安定しているのが大事という趣旨の話を繰り返し聞いているため、退職への心理的障壁が存在しています。
総評として「親に迷惑を掛けられない」という気持ちが、サラリーマンを辞めない理由として最も強いと感じています。
親が望む未来があるから、その期待を裏切りたくないから、サラリーマンとして会社に勤め続けているのが現状です。
人間はない物ねだりだ
仕事など外せない予定が詰まっているときは、この時間があれば〇〇〇ができると思う。でも休日に時間が出来ると”ゲーム・音楽・遊び”など楽な方に流れて 〇〇〇 をやろうとしない。
今やらないと永遠にやらないのに。
行動に効率よく移せない理由を考察すると、休日の希少性という言葉に辿り着いた。
例えば休日の全てを自分磨きのアクティビティに使うとすると、きたる平日には精神的・身体的な休息を殆ど取れないまま仕事に向かうことになる。
〇〇へ傾ける時間としてはめちゃくちゃ効率的に休日を利用できているが、身体が休まらず日々の業務効率や様々なことに対するモチベーションも落ちてしまう。
もし〇〇が100%未来を劇的に変えてくれるという確約があるなら、この平凡な社会人生活から救ってくれるなら、多少の無茶をしても全く苦にならないと思う。
だけど、そもそもの努力の方向性が間違っている可能性も大いにある。むしろ、そちらの可能性のほうが圧倒的に高い。
それでも悶々としながらも続けています。止まったら何も残らないし。
学生時代にやっておけばよかったこと
もっとハングリー精神を持って様々なことに手を出すこと。
恋愛、遊び、バイトなど全てそう。これに尽きると思う。漠然とした未来に期待なんかしちゃいけない。
満員電車に乗って出勤しているサラリーマンたちは幸せそうだろうか。
僕の主観だけど答えはNoだった。何もしなかったら彼らと同じ道を辿るのだ。現に僕も死んだ顔して通勤している笑
もしサラリーマンのままだったとしても、豊富な人脈と会話の引き出しを持っていたら人生が幾分か色づくと思う。
「あの頃も楽しかったし、今もまた違った楽しさがある」
僕がARIAという作品から感銘を受けたセリフです。
きっとその通りだと思うから、学生時代にさほど未練はありません。馬鹿みたいに麻雀とかして遊んでたし 笑
今、学生の人へ伝えたいこと
まとめみたいな項目です。こんな上から目線のタイトルでごめんなさい。。
僕は会社に入ってから新しいことの連続だったけど、メンタル的にすごく成長できました。だから一番大切だと思うのは常に新しいことに向き合うこと。自分から未知の場所へ飛び込んでいくことかなって。
未知のことは初めはめちゃくちゃ不安で怖いけど、メタルスライム並みにすごい経験値になる。大学のサークルとかでも未経験で「やってみたいから入りました」って人いるじゃないですか。
昔は物好きな人だな、と気にも留めなかった。
でも今から見るとそういう人ってめちゃくちゃ尊敬します。自分から新しい場所に進んで飛び込んでいくなんて勇気も度胸も必要だから。
自分もビジネスの分野でそんな人になりたいなって思うのです。とにかく少しでも脳裏によぎったことは迷う暇なく行動しましょう!
その積み重ねが思わぬ出会いを引き寄せて人生を変えてくれたりします。