今回はエッセイという形で学歴フィルタに対する筆者の考え方を記述していきたいと思います。本稿の記述は筆者の私見として考え方を述べているだけで、これが正しいと言いたいわけではないことはご容赦ください。
人の意見というのは、これまでに接触した人間の考え方が色濃く表れます。とくに子供のうちに親や親しい大人によって刷り込まれた考え方などは、その人の基礎となる部分で永遠に残り続けます。
他人の口癖がいつの間にか自分の口癖になっていたという経験はないでしょうか。それと同じで私も他人の考え方の寄せ集めなだけであって、全く正しいわけではありません。「へー、そういう考え方もあるのか」といった具合で読んでいただければ幸いです。
学歴フィルタは企業が就活をビジネス化した結果
リクナビやマイナビが就活を斡旋するポータルサイトを運営し、ボタン一つでエントリー出来てしまう環境になった。Airbnbやuberのようにサービスを必要とする人とサービスを提供する人を繋げるビジネスと同様で、新卒たちの就活も一つの斡旋ビジネスを生み出しました。
ひと昔前なら一流企業への就活は求人票からしか出来なかったため、応募して欲しい大学のみに求人票を置くという方法でシンプルに学生を絞り込むことが出来ていました。
しかし斡旋ビジネスにより誰でも応募が可能になった結果、採用数に対して応募数が何百倍にも応募が膨れ上がり、企業の採用担当者が悲鳴を上げるという構図が出来上がっています。
採用する企業側もターゲット校からの採用だけで十分なため、説明会の応募に制限を加えたりして採用フローに乗ってくる就活生を少しでも減らそうとします。いわゆる学歴フィルターです。
学歴フィルタにより企業の選考過程が露見した
学歴フィルタで説明会に参加できないのを、新卒や既卒の就職志願者たちが差別だ言っているのが取り沙汰されるときがあります。しかしよく考えると、フィルタを掛けて参加させないのも含めて選考の一環です。
昔は求人票の置き場所を工夫してフィルタを掛けていましたが、現在はインターネット全盛となり、説明会も電子予約となった関係であらためて露見してしまっただけのことです。
就活生は企業を選んで応募する権利がありますが、企業は応募してきた人の中から良い人を選ぶことしかできません。しかも内定を与えても土壇場で辞退したりする良識のない学生もいます。まあ内定取り消しする良識のない会社もありますので、そこは引き分けでしょうか。
出来るだけ良い人材を選ぶための手段の一つとして、学歴フィルタを活用することは理にかなった行動だと感じています。
面白いのは就活がネット上でビジネス化したせいで生じた有象無象の就活生を、学歴フィルタというオプションサービスを使って排除している点でしょうか。
企業マイページやお祈りメールの配信やウェブ予約フォーマットなど、就活にかかわるすべての機能には十万円単位の利用料が発生しています。
企業がお金をかけて集めた就活生を、お金を掛けて篩にかけさせる。この機構を考えた就活ビジネスの発案者は天才かと思います。
学歴フィルターはあってしかるべき
世の中は不公平です。すべての物事において上下関係はなくてはならない代物です。
人は下にいる人間を見下す優越感に愉悦を覚えます。それは精神的な安定をもたらします。昔は敢えて一番下の階級を作って市民の暴動を防いだりもしていましたね(差別用語なので書きませんが)。
人は上にいる人間に羨望の眼差しを抱いて、あんな風になろうとハングリー精神を獲得することで努力を続けます。そうやって努力する人口が増えるごとに加速的に文明が推し進められていくと考えています。
ラッキーなことに、現代の日本は生まれながらにして職業や身分が決まってしまう訳ではありません。どれだけ低学歴だろうと、貯金が無かろうと、正しい方法で努力をし続ければ幾らでも挽回が効きます。
「努力は必ずしも報われないが、成功した者はみな努力している」とはベートーヴェンの名言です。
必ず報われるわけではありません。しかし努力していれば限りなく報われやすい世の中にはなっていると思います。
先程の話に戻ってみると、努力の集大成としての形の一つが『学歴』という称号です。
ほら、努力した人が学歴フィルターを通過して選考フローに乗れるという形で報われています。差別でもなんでもありません。必死に勉強して努力した結果、他人よりも有利な立場になれただけの話です。